繁塔(まだ宋代なので、9重の塔です。繁塔)からみた開封東部 南からの視点です。城壁の角は南東です。 
繁塔のそばの倉庫 汴河の橋などが虹橋で再現されているところに注目。繁塔は、すこし汴河に寄りすぎです。
北宋の皇城 (これはちょっと?です)。南から見たものです。 中央の大通りは御街、御街を貫く汴河、それに架かっている橋は州橋という構図です。皇城の門は宣徳門。手前の門は、内城の正門で朱雀門。
孟元老宅 孟元老は、『東京夢華録』の著者。彼は『東京夢華録』自序の冒頭、
「崇寧癸未到京師。卜居於州西金梁橋西挾道之南。」
と述べています。私は、挾道とは、徽宗の御成道で蔡京邸に至っていたと考えています。
また金梁橋は、こんなに城門そばにはありません。蔡京邸のまえに有った蔡大師橋の西です。
詳しくは、徽宗時代概略想定図をご覧ください。


艮嶽  徽宗時代に作られた園林です。ピンぼけして申し訳ありませんが、旧封丘門(内城北側の門)の東側に設けられていますが、明らかに、



位置が間違っています。西側でなければなりません。景龍門がどこかにいなくなってしまっています。下の写真は復元された安遠門です。

   甕城(新曹門) 北宋時代の城壁は、版築のはずですが・・・・。甕城はこのようなものだと思われます。事林広記の図を参照してください。




南薫門(直門になっていますね。)
   
鉄塔 岡のようなところに立っているところが凝っています。夷門山にありましたからこのようにしたのでしょう。
   でもこのあたりに倉庫があるはずなのですがそれがありません。五丈河の位置が私の地図とは違っています。